2009年10月26日
皿 西脇順三郎
黄色い菫が咲く頃の昔、
海豚は天にも海にも頭をもたげ、
尖つた船に花が飾られ
ディオニソスは夢見つゝ航海する
模様のある皿の中で顔を洗つて
宝石商人と一緒に地中海を渡つた
その少年の名は忘れられた。
麗〔ウララカ〕な忘却の朝。
西脇順三郎(1894年/明治27年—1982年/昭和57年)が英国留学を終えて帰国したのは1925年の秋だった。1925年といえば、萩原恭次郎の『死刑宣告』や尾形亀之助の『色ガラスの街』などが刊行された年で、日本の近代詩から現代詩へと胎動が始まりつつある時であった。そこに、イギリスでモダニズムを身につけた西脇は帰ってきたのだが、帰国後の動きは次のとおり。
1926年 慶應義塾大学文学部教授就任
「三田文学」で批評活動を開始
1928年 「詩と詩論」創刊。以降、ほとんど毎号執筆。
(萩原朔太郎『詩の原理』刊行)
1929年 『超現実主義詩論』刊行
1933年 『Ambarvalia』刊行
『超現実主義詩論』巻頭の「PROFANUS」の冒頭のことばにはすでに西脇詩論のすべてが表明されている(ちなみに、PROFANUSとは、ラテン語で「聖なるものを俗化する」意味だとか)。
「人間の存在の現実それ自身はつまらない。この根本的な偉大なつまらなさを感ずることが詩的動機である」
「超現実主義詩論」というタイトルは、シュルレアリスムの詩論かと思われるかもしれないが、これは版元の意向によったものらしく、著者の真意は「超自然主義」にあったようであり、ここが、いわゆるモダニズム詩人とは別れるところである。
『Ambarvalia』は、LE MONDE ANCIEN(古代世界)、LE MONDE MODERNE(現代世界)の二つのパートから成り、とりわけ、「ギリシア的抒情詩」の諸詩篇はよく知られるところであるが、〈現代世界〉に収められた諸詩篇にも味わい深いものがある。ここでは、「ギリシア的抒情詩」から「皿」を取り上げた。「麗な忘却の朝」が含意する晴朗な時に憧れる。(09.10.26 文責・岡田)
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